FARCE に就て
芸術の最高形式はファルスである、なぞと、勿体振って逆説を述べたいわけでは無論ないが、然し私は、悲劇や喜劇よりも同等以下に低い精神から道化が生み出されるものとは考えていない。然し一般には、笑いは泪より内容の低いものとせられ、当今は、喜劇というものが泪の裏打ちによってのみ危く抹殺を免かれている位いであるから、道化の如き代物は、芸術の埒外へ投げ捨てられているのが普通である。と言って、それだからと言って、私は別に義憤を感じて爰に立ち上った英雄では決して無く、私の所論が受け容れられる容れられないに拘泥なく、一人白熱して熱狂しようとする――つまり之が、即ち拙者のファルス精神でありますが。
ところで――
(まず前もって白状することには、私は浅学で、此の一文を草するに当っても、何一つとして先人の手に成った権威ある文献を渉猟してはいないため、一般の定説や、将又ファルスの発生なぞということに就て一言半句の差出口を加えることさえ不可能であり、従而、最も誤魔化しの利く論法を用いてやろうと心を砕いた次第であるが、――この言草を、又、ファルス精神の然らしめる所であろうと善意に解釈下されば、拙者は感激のあまり動悸が止まって卒倒するかも知れないのですが――)
扨て、それ故私は、この出鱈目な一文を草するに当っても、敢て世論を向うに廻して、「ファルスといえども芸術である」なぞと肩を張ることを最も謙遜に差し控え、さればとて、「だから悲劇のみ芸術である」なぞと言われるのも聊か心外であるために、先ず、何の躊躇らう所もなく此の厄介な「芸術」の二文字を語彙の中から抹殺して(アア、清々した!)、悲劇も喜劇も道化も、なべて一様に芝居と看做し、之を創る「精神」にのみ観点を置き、あわせて、之を享受せらるるところの、清浄にして白紙の如く、普く寛大な読者の「精神」にのみ呼びかけようとするものである。
次に又、この一文に於て、私は、決して問題を劇のみに限るものではなく、文学全般にわたっての道化に就て語りたいために、(そして、私は言葉の厳密な定義を知らないので、暫く私流に言わして頂くためにも――)、仮りに悲劇、喜劇、道化に各々次のような内容を与えたいと思う。A、悲劇とは大方の真面目な文学、B、喜劇とは寓意や涙の裏打ちによって、その思いありげな裏側によって人を打つところの笑劇、小説、C、道化とは乱痴気騒ぎに終始するところの文学。
と言って、私は、A・Bのジャンルに相当する文学を軽視するというのでは無論ない。第一、文学を斯様な風に類別するということからして好ましくないことであり、全ては同一の精神から出発するものには違いあるまいけれど――そして、それだから私は、道化の軽視される当節に於て(敢て当今のみならず、全ての時代に道化は不遇であったけれども――)道化も亦、悲劇喜劇と同様に高い精神から生み出されるものであって、その外形のいい加減に見える程、トンチンカンな精神から創られるものでないことを言い張りたいのである。無論道化にもくだらない 道化もあるけれども、それは丁度、くだらない 悲劇喜劇の多いことと同じ程度の責任を持つに止まる。
そこで、私が最初に言いたいことは、特に日本の古典には、Cに該当する勝れた滑稽文学が存外多く残されている、このことである。私は古典に通じてはいないので、私の目に触れた外にも幾多の滑稽文学が有ることとは思うが、日頃の愛読する数種を挙げても「狂言」、西鶴(『好色一代男』、『胸算用』等)、『浮世風呂』、『浮世床』、『八笑人』、『膝栗毛』、平賀源内、京伝、黄表紙、落語等の或る種のもの等。
一体に、わが国の古典文学には、文学本来の面目として、現実を有りの儘に写実することを忌む風があった。底に一種の象徴が理窟なしに働いていて、ある角度を通して、写実以上に現実を高揚しなければ文学とは呼ばない習慣になっている。写実を主張した芭蕉にしてからが、彼の俳諧が単なる写実でないことは明白な話であるし――尤も、作者自身にとって、自分の角度とか精神とか、技術、文字というものは、表現されるところの現実を離れて存在し得ないから、本人は写実であると信ずることに間違いのあろう筈はないけれども――斯様に、最も写実的に見える文学に於てさえ、わが国の古典は決して写実的ではなかった。
又、『花伝書』の著者、世阿弥なぞも、写実ということを極力説いているけれども、結局それが、所謂写実でないことは又明白なところである。私は、世阿弥の『花伝書』に於て、大体次のような意味の件りを読んだように記憶している。「能を演ずるに当って、演者は、たとえ賤が女を演ずる場合にも、先ず『花』(美しいという観念)を観客に与えることを第一としなければならぬ。先ず『花』を与えてのち、はじめて次に、賤が女としての実体を表現するように――」と。
私は、このように立派な教訓を、そう沢山は知らない。そして、世阿弥は、この外にも多くの芸術論を残しているが、中世以降の日本文学というものは、彼の精神が伝承されたものかどうかは知らないが、この、「先ず花を与える」云々の精神と全く同一のものが、常に底に流れていて、鋭く彼等の作品に働きかけて来たように思われるのである。俳諧に於ける芭蕉の精神に於ても其れを見ることが出来るし、又、今この話の中心である戯作者達の作品を通しても、(狂言は無論のこと)、私は此の精神の甚だ強いものを汲み取ることが出来るのである。
尤も、この精神は、ひとり日本に於て見られるばかりではなく、欧洲に於ても、古典と称せられるものは概ね斯様な精神から創り出されたものであった。単なる写実というものは、理論ではなしに、理窟抜きの不文律として本来非芸術的なものと考えられ、誰からも採用されなかったのである。近世たまたま、芸術の分野にも理論が発達して理論から芸術を生み出そうとする傾向を生じ、新らしい何物かを探索して在来の芸術に新生面を附け加えようと努力した結果、自然主義の時代から、遂に単なる写実というものが、恰もそれが正常な芸術であるかのように横行しはじめたのであった。
この事は単に文学だけではなく、音楽に於ても、(私は音楽の知識は皆無に等しいものであるが、素人として一言することを許して頂ければ――)私は、近代の先達として、ドビュッシイの価値を決して低く見積りはしないが、しかも尚この偉大な先達が、恰かもそれが最も斬新な、正しい音楽であるかのように、全く反省するところなしに単なる描写音楽を、例えば「西風の見たところ」、「雨の庭」と言った類いの作品を、多く残していることに就て、時代の人を盲目とする蛮力に驚きを深くせざるを得ない。そして現今、洋の東西を問わず、凡そ近代と呼ばれる音楽の多くは、単なる描写音楽の愚を敢てしている。斯様に低調な精神から生れた作品は、リュリ、クウプラン、ラモオ、バッハ等の古典には嘗て見られぬところであった。単なる写実は芸術とは成り難いものである。
言葉には言葉の、音には音の、色には又色の、もっと純粋な領域がある筈である。
一般に、私達の日常に於ては、言葉は専ら「代用」の具に供されている。例えば、私達が風景に就て会話を交す、と、本来は話題の風景を事実に当って相手のお目に掛けるのが最も分りいいのだが、その便利が無いために、私達は言葉を藉りて説明する。この場合、言葉を代用して説明するよりは、一葉の写真を示すに如かず、写真に頼るよりは、目のあたり実景を示すに越したことはない。
斯様に、代用の具としての言葉、即ち、単なる写実、説明としての言葉は、文学とは称し難い。なぜなら、写実よりは実物の方が本物だからである。単なる写実は実物の前では意味を成さない。単なる写実、単なる説明を文学と呼ぶならば、文学は、宜しく音を説明するためには言葉を省いて音譜を挿み、蓄音機を挿み、風景の説明には又言葉を省いて写真を挿み、(超現実主義者、アンドレ・ブルトンの “Nadja” には後生大事に十数葉の写真を挿み込んでいる)、そして宜しく文学は、トーキーの出現と共に消えてなくなれ。単に、人生を描くためなら、地球に表紙をかぶせるのが一番正しい。
言葉には言葉の、音には音の、そして又色には色の、各々代用とは別な、もっと純粋な、絶対的な領域が有る筈である。
と言って、純粋な言葉とは言うものの、勿論言葉そのものとしては同一で、言葉そのものに二種類あると言うものではなく、代用に供せられる言葉のほかに純粋な言葉が有る筈のものではない。畢竟するに、言葉の純粋さというものは、全く一に、言葉を駆使する精神の高低に由るものであろう。高い精神から生み出され、選び出され、一つの角度を通して、代用としての言葉以上に高揚せられて表現された場合に、之を純粋な言葉と言うべきものであろう(文章の練達ということは、この高い精神に附随して一生の修業を賭ける問題であるから、この際、ここでは問題とならない)。
「一つの作を書いて、更に気持が深まらなければ、自分は次の作を書く気にはならない」と、葛西善蔵は屡々《しばしば》そう言っていたそうであるし、又その通り実行した勇者であったと谷崎精二氏は追憶記に書いているが、この尊敬すべき言葉――私は、汗顔の至であるが、葛西善蔵のこの言葉をかりて言い表わすほかに、今、私自身の言葉として、より正確に説明し得る適当な言葉を知らないので、先ず此の言葉を提出したわけであるが――この尊敬すべき言葉に由って表わされている一つの製作精神が、文字を、(音を、色を)芸術と非芸術とに分つところの鉄則となるのではないだろうか。
余りにも漠然と、さながら雲を掴むようにしか、「言葉の純粋さ」に就て説明を施し得ないのは、我ながら面目次第もない所とひそかに赤面することであるが、で、私は勇気を奮って次なる一例を取り出すと――
「古池や蛙飛び込む水の音」
之ならば、誰が見ても純粋な言葉であろう。蛙飛び込む水音を作曲して、この句の意味を音楽化したと言う人もなかろうし、古池に蛙飛び込む現実の風景が、この句から受けるような感銘を私達に与えようとは考えられない。ここには一切の理窟を離れて、ただ一つの高揚が働いている。
「古池や蛙飛び込む水の音、淋しくもあるか秋の夕暮れ」
私は、右の和歌を、五十嵐力氏著『国歌の胎生並びにその発達』という名著の中から抜き出して来たのであるが、五十嵐氏も述べていられる通り、ここには親切な下の句が加えられて、明らかに一つの感情と、一つの季節までが附け加えられ説明せられているにも拘わらず、この親切な下の句は、結局芭蕉の名句を殺し、愚かな無意味なものとするほかには何の役にも立っていない。言葉の秘密、言葉の純粋さ、言葉の絶対性――と、如何にも虚仮威に似た言い分ではあるが、この簡単な一行の句と和歌とで、その実際を汲んでいただきたい。言葉をいくら費して満遍なく説明しても、芸術とは成り難いものである。何よりも先ず、言葉を駆使するところの、高い芸術精神を必要とする。
文学のように、如何に大衆を相手とする仕事でも、その「専門性」というものは如何とも仕方のないことである。どのように大衆化し、分り易いものとするにも、文学そのものの本質に附随するスペシアリテ以下にまで大衆化することは出来ない。その最低のスペシアリテまでは、読者の方で上って来なければならぬものだ。来なければ致し方のないことで、さればと言って、スペシアリテ以下にまで、作者の方から出向いて行く法はない。少くとも文学を守る限りは。そして、単なる写実というものは、文学のスペシアリテの中には這入らないものである。少くとも純粋な言葉を持たなければ、純粋な言葉を生むだけの高揚された精神を持たなければ――これだけは、文学の最低のスペシアリテである。
兎に角芸術というものは、作品に表現された世界の中に真実の世界があるのであって、これを他にして模写せられた実物があるわけではない。その意味に於ては、芸術はたしかに創造であって、この創造ということは、芸術のスペシアリテとして捨て放すわけには行かないものだ。
ところで、ファルスであるが――
このファルスというものは、文学のスペシアリテの圏内にあっても、甚だ飄逸自在、横行闊歩を極めるもので、あまりにも専門化しすぎるために、かなり難解な文学に好意を寄せられる向きにも、往々《おうおう》、誤解を招くものである。
尤も、専門化しすぎるからと言って、難解であるからと言って、それ故それが、偉大な文学である理由には毫もならないものである。スペシアリテの埒内に足を置く限りは、よし大衆的であれ、将又貴族的であれ、さらに選ぶところは無い筈である。(尤も拙者は、断乎として、断々乎として、ファルスは難解であるとは信じません!)それはそれとしておいて、扨て――
一体が、人間は、無形の物よりは有形の物の方が分り易いものらしい。ところで、悲劇は、現実を大きく飛躍しては成り立たないものである(そして、喜劇も然り)。荒唐無稽というものには、人の悲しさを唆る力はないものである。ところがファルスというものは、荒唐無稽をその本来の面目とする。ところで、荒唐無稽であるが、この妙チキリンな一語は、芸術の領域では、さらに心して吟味すべき言葉である。
一体、人々は、「空想」という文字を、「現実」に対立させて考えるのが間違いの元である。私達人間は、人生五十年として、そのうちの五年分くらいは空想に費しているものだ。人間自身の存在が「現実」であるならば、現に其の人間によって生み出される空想が、単に、形が無いからと言って、なんで「現実」でないことがある。実物を掴まなければ承知出来ないと言うのか。掴むことが出来ないから空想が空想として、これほども現実的であるというのだ。大体人間というものは、空想と実際との食い違い の中に気息奄々として(拙者なぞは白熱的に熱狂して――)暮すところの儚ない生物にすぎないものだ。この大いなる矛盾のおかげで、この箆棒な儚なさのおかげで、兎も角も豚でなく、蟻でなく、幸いにして人である、と言うようなものである、人間というものは。
単に「形が無い」ということだけで、現実と非現実とが区別せられて堪まろうものではないのだ。「感じる」ということ、感じられる世界 の実在 すること、そして、感じられる世界 が私達にとってこれ程も強い現実 であること、此処に実感を持つことの出来ない人々は、芸術のスペシアリテの中へ大胆な足を踏み入れてはならない。
ファルスとは、最も微妙に、この人間の「観念」の中に踊りを踊る妖精である。現実としての空想の ――ここまでは紛れもなく現実であるが、ここから先へ一歩を踏み外せば本当の「意味無し」になるという、斯様な、喜びや悲しみや歎きや夢や嚔やムニャムニャや、凡有ゆる物の混沌の、凡有ゆる物の矛盾の、それら全ての最頂点に於て、羽目を外して乱痴気騒ぎを演ずるところの愛すべき怪物が、愛すべき王様が、即ち紛れもなくファルスである。知り得ると知り得ないとを問わず、人間能力の可能の世界に於て、凡有ゆる翼を拡げきって空騒ぎをやらかしてやろうという、人間それ自身の儚なさのように、之も亦儚ない代物には違いないが、然りといえども、人間それ自身が現実である限りは、決して現実から羽目を外していないところの、このトンチンカンの頂点がファルスである。もう一歩踏み外せば本当に羽目を外して「意味無し」へ墜落してしまう代物であるが、勿論この羽目の外し加減は文学の「精神」の問題であって、紙一枚の差であっても、その差は、質的 に、差の甚しいものである。
ファルスとは、人間の全てを、全的に、一つ残さず肯定 しようとするものである。凡そ人間の現実に関する限りは、空想であれ、夢であれ、死であれ、怒りであれ、矛盾であれ、トンチンカンであれ、ムニャムニャであれ、何から何まで肯定しようとするものである。ファルスとは、否定をも肯定し、肯定をも肯定し、さらに又肯定し、結局人間に関する限りの全てを永遠に永劫に永久に肯定肯定肯定して止むまいとするものである。諦らめを肯定し、溜息を肯定し、何言ってやんでいを肯定し、と言ったようなもんだよを肯定し――つまり全的に人間存在を肯定しようとすることは、結局、途方もない混沌を、途方もない矛盾の玉を、グイとばかりに呑みほすことになるのだが、しかし決して矛盾を解決することにはならない、人間ありのままの混沌を永遠に肯定しつづけて止まない所の根気の程を、呆れ果てたる根気の程を、白熱し、一人熱狂して持ちつづけるだけのことである。哀れ、その姿は、ラ・マンチャのドン・キホーテ先生の如く、頭から足の先まで Ridicule に終ってしまうとは言うものの、それはファルスの罪ではなく人間様の罪であろう、と、ファルスは決して責任を持たない。
此処は遠い太古の市、ここに一人の武士がいる。この武人は、恋か何かのイキサツから自分の親父を敵として一戦を交えねばならぬという羽目に陥る。その煩悶を煩悶として悲劇的に表わすのも、その煩悶を諷刺して喜劇的に表わすのも、共にそれは一方的で、人間それ自身の、どうにもならない 矛盾を孕んだ全的なものとしては表わし難いものである。ところがファルスは、全的に、之を取り扱おうとするものである。そこでファルスは、いきなり此の、敬愛すべき煩悶の親父と子供を、最も滑稽千万な、最も目も当てられぬ懸命な珍妙さに於て、掴み合いの大立廻りを演じさせてしまうのである。そして彼等の、存在として孕んでいる、凡そ有ゆるどうにもならない 矛盾の全てを、爆発的な乱痴気騒ぎ、爆発的な大立廻りに由って、ソックリそのまま昇天させてしまおうと企らむのだ。
之はもう現実の――いや、手に触れられる有形の世界とは何の交渉もないかに見える。「感じる」、あくまで唯「感じる」――という世界である。
斯様にして、ファルスは、その本来の面目として、全的に人を肯定しようとする結果、いきおい人を性格的には取扱わずに、本質的に取扱うこととなり、結局、甚しく概念的となる場合が多い。そのために人物は概ね類型的となり、筋も亦単純で大概は似たり寄ったりのものであるし、更に又、その対話の方法や、洒落や、プローズの文章法なぞも、国別に由って特別の相違らしいものを見出すことは出来ないようである。
類型的に取扱われている此等の人物の、特に典型らしいものを一二挙げると、例えばファルスの人物は、概ね「拙者は偉い」とか「拙者はあのこ に惚れられている」なぞと自惚れている。そのくせ結局、偉くもなければ智者でもなく惚れられてもいない。ファルスの作者というものは、作中の人物を一列一体の例外無しに散々な目に会わすのが大好きで、自惚れる奴自惚れない奴に拘りなく、一人として偉いが偉いで、智者が智者で、終る奴はいないのである。あいつ よりこいつ の方が少しは悧巧であろうという、その多少の標準でさえ、ファルスは決して読者に示そうとはしないものだ。尤も、あいつ は馬鹿であるなぞとファルスは決して言いはしないが。又、例えば、ファルスの人物は、往々、「拙者は悲惨だ、拙者の運命は実に残酷である――」と大いに悲歎に暮れている。ところがファルスの作者達は、そういう歎きに一向お構いなく、此等の悲しきピエロとかスガナレルという連中を、ヤッツケ放題にヤッツケて散々な目に会わすのである。ファルスの作者というものは、決して誰にも(無論自分自身にも――)同情なんかしようとはしないものだ。頑として、木像の如く、木杭の如く、電信柱の如く断じて心臓を展くことを拒むものである。そして、この凡有ゆる物への冷酷な無関心に由って、結局凡有ゆる物を肯定する、という哀れな手段を、ファルス作家は金科玉条として心得ているだけである。
一体ファルスというものは、何国に由らず由来最も哲学的(出来損いの――)なものであるが、西洋では、近世に近づくに従って、次第にファルスは科学的に――と言うのもちと大袈裟であるが、つまりファルス全体の構成が甚しくロジカルになってきた。従而、その文章法なぞも、ひどくロジカルにこねくり 廻された言葉のあや に由って、得体の知れない混沌を捏ね出そうとするかのように見受けられる。プローズでは、已にエドガア・ポオ(彼には Nosologie, Xing paragraph, Bon-Bon と言った類いの得体の知れない作品がある――)あたりから、此の文章法はかなり完璧に近いものがあるし、劇の方では、仏蘭西現代の作家マルセル・アシアルの「ワタクシと遊んでくれませんか」なぞは、この方面の立派な技術が尽されている。
ところが日本では西洋と反対で、最も時代の古い「狂言」が最もロジカルに組み立てられ、人物の取扱いなぞでも、これが西洋の近代に最も類似している。
で、西洋近世のロジカルなファルス的文章法というものは、本質的には実に単純極まりないもので、「AはAである」とか、「Aは非Aでない」と言った類いの最も単純な法則の上で、それを基調として、アヤなされている。語の運用は無論として、筋も人物も全体が、それに由って運用されていると見ることも出来る。マルセル・アシアルの「ワタクシと遊んでくれませんか」をどの一頁でも読みさえすれば、この事は直ちに明瞭に知ることが出来よう。が、このロジカルな取扱いは、非常に行き詰り易いものである。アシアルにしてからが、已に早くも行き詰って、近頃は、より性格的な、より現実的な喜劇の方へ転向しようとしているが、ファルスと喜劇との取扱いの上に於ける食い違いが未だにシックリと錬れないので、喜劇ともつかずファルスともつかず、妙にグラグラして、彼の近作は概ね愚作である。
が、然し何も、このロジカルな方向がファルスの唯一の方向ではない。ファルスはファルスとして、ファルスなりに、性格的であり現実的であり得るのである。西洋の古代、並びに、特に日本の江戸時代は、ファルスはファルスなりに余程性格的であり、かつ現実的であった。『浮世風呂』、『浮世床』であるとか、西洋では、 “〔Mai^tre Pathelin〕” (仏蘭西の十五世紀頃の作品)、なぞがそうである。私達のファルスは、この方面に尚充分に延びて行く可能性があるように考えられるし、又この逆に、概念的な、奇想天外な乱痴気騒ぎにしてからが、まだまだ古来東西にわたって甚だシミッタレなところがあった。なまじいに科学的な国柄だけに西洋の方に此の弊が強く、例えば、オスカア・ワイルドに「カンタビイルの幽霊」というものがあるが、日本の落語に之と全く同一の行き方をしたものがあって――題は忘れてしまったが、(隠居がお化けをコキ使う話)、私には、その落語の方が、はるかに羽目を外れて警抜であったために、ケタ違いの深い感銘を受けたことを覚えている。と言って、日本のファルスといえども、決して自由自在に延びきっていたわけではないが。
一体に、日本の滑稽文学では、落語なぞの影響で、駄洒落に堕した例が多い(尤も外国でも、愚劣な滑稽文学は概ねそうであるが)。いわゆる立派な、哲学的な根拠から割り出された洒落というものは、人間の聯想作用であるとか、又、高度の頭の働きを利用し、つまりは、意味を利用して逆に無意味を強めるもので、近世風な滑稽文学(日本では「狂言」が――)が皆この傾向をとっている。ところが、江戸時代の滑稽文学や、西洋の古典は、之とは別な方向をとり、人間的であるために、その洒落が駄洒落に堕して目も当てられぬ愚劣な例が多いのである(『八笑人』を摸して『七偏人』という愚作が後世出たが之なぞは駄洒落文学を知る上には最適の例であろう)。こういうことは、ファルスを人間的に取扱い、浮世の風を滲み込ませようとする時に、最も陥り易い短所であるが、しかし之も見様に由れば、技術の洗煉されないせいで、用い様に由っては、一見短所と見える斯様な方向にさえ尚開拓の余地はあるようである。私は時々落語をきいて感ずるのであるが、恐らく文学として読むに堪えないであろう愚劣なものが、立派な落語家に由って高座で表現されると、勝れた芸術として感銘させられる場合がある。技術は理窟では習得しがたく、又律しがたいものである。古来軽視されていただけに、文学としての「道化」は、その技術にも多くの新らしい開拓を必要とするであろう。
私は深い知識があるわけではないので良くは知らないのであるが、当て推量で言ってみれば、「道化」は、その本来の性質として、恐らく人智のあると共にその歴史は古いように思われるし、且又、それだけに特別の努力も払われたことはなく、大して新生面も附け加えられて来なかったように考えられてならぬのである。もっと意識的に、ファルスは育てられていいように私は思うのである。せめてファルスを軽蔑することは、これは無くてもいいと思うが――
肩が凝らないだけでも、仲々どうして、大したものだと思うのです。Peste!
(「青い馬」昭和7年3月3日)
青空文庫より引用